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鞆帆前掛
 
 
品質と信頼を保障する鞆帆布とクリコットンは株式会社クリケットの商標登録です。
帆の中にある三つ巴(鞆絵)は 広島県福山市鞆町のシンボルマ-クです。
鞆帆布の製品は、国内の素材を使用し、国内で生産しております。



《本格柿渋染
        について


当社は、独自の方法にて柿渋を繰り返し染めつけることを行い、より良い風合い、色合いを表現しております。
当社の「柿渋染」は天然100%の精製無臭品柿渋液を使用しております。
したがって、出来上がった商品(生地)に 色差が生じることをご了解くださいますよう、よろしくお願い申し上げます。



《鞆の浦帆前掛
        について


先染めした糸を使い織り上げ、巾約47cmの両耳使いの生地に仕上げました。
その巾そのままで前掛けを作製いたしました。




《鞆今昔物語》

詳しいお話は 「鞆今昔物語」をご覧ください。



《鞆の浦》

鞆の浦の磯の木見むごとに
相見し妹は忘らえめやも


詳しいお話は 「鞆の浦」をご覧ください。



《沼隈郡誌より》

詳しいお話は 「鞆の浦と平家」をご覧ください。




《日東第一形勝の
      いわれ》


詳しいお話は 「日東第一形勝のいわれ」をご覧ください。





鞆の浦


〈天木香樹(むろのき=室の木)秘話〉

聖武天皇の神亀二年(725)のことである。後世において万葉歌人の第一人者として天下に名を知られた大伴家持 (おおとものやかもち)の父に当たる、大伴旅人(おおとものたびと)という奈良朝に仕える高級官吏は、九州大宰府の長官に 任じられて奈良の都よりはるばる九州におもむく海路の旅路を続けて居た。
その時すでに旅人は五十の坂をとくに過ぎる齢であったが、 彼の傍らにはまだ若くて美しい妻が寄り添っていた。
前夜、神島の磯間の浦に宿泊したとき、宿の亭主から「明日は鞆の沖合いを通過 されるでしょうが、世にも珍しい大木が見られますよ!!」と知らされていたので、船が次第に仙酔島(当時はまだ向江島と呼んでいた) に近づくと旅人は妻を労わりながらも船中より腰を浮かせて、若者のように好奇の目を輝かせていた。

「あれがうわさに高い天木 香樹(むろのき)という大木です」と船子の指さす彼方に目を見やり、旅人は思わず嘆声を上げたのであった。それは鞆の陸地を少し 離れた小さな離れ磯の砂浜の中に、唯一の大樹が高く空に聳え、その繁る樹幹の中より一本の梢が、向かいの島(弁天島)にちょうど 反り橋を懸けたように伸び、その下を帆掛船が自由に上下している風景だった。

旅人は妻を労わりながら、「あの根元の模様を ご覧よ」と指さす場所には、陸の大蛸の足と云えるほど、何本もの根元が重なり合い、その枝葉は天を覆い、樹齢は幾百星霜を偲ばす ほどであった。
旅人は船頭に命じて離れ磯の周囲を漕ぎ廻わり大木とこの浦の景観に見あかぬ感慨に浸ったものか?。
まだ日も高いのに 今宵一夜はこの浦で過ごそうと、関の浜辺に船を寄せるのであった。

かくて翌日、大伴旅人は「天木香樹」に強い名残りを惜しみ ながら、妻を伴い九州への船旅をまた続けたのであった。そして何時しか五年の歳月は流れた。旅人は大宰府長官の任を終え、このたびは 奈良の都の大官、大納言という高位の役柄で迎えられたので、海路東上して再び鞆の地を踏まれたのである。
だが然し彼の傍らには 寄り添う美しい妻の姿は見えなかった。それは九州の任地で死歿したからである。関の浜辺に立って永久に変らぬ天木香樹を見るや旅人の 双眸(両眼)から吹き出るように妻恋いの涙がその頬をぬらした。

この時、旅日記に記るした妻恋いの歌、室の木(むろのき)は、 その後、奈良の都の歌人の世界で一躍有名になり、天木香樹とは如何なる宝木であろうか?、鞆という所は如何なる仙境であろうか?  すなわち歌人の世界を通して鞆の地名も広く紹介されたのである。
その時の歌は次のようなものであった。


     ■ 鞆の浦の磯の室の木見むごとに
                  相見し妹は忘らえめやも。


       (原文)鞆浦之磯之室木将見毎  相見之妹者、将所忘八方。


     ■ わぎもこが見し鞆の浦の室の木は
                  とこ世にあれど見し人ぞなき。


       (原文)吾妹子之、見師鞆浦天木香樹者  常世有跡見之人曽奈吉。




2011-12-01



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